これだけ世の中の仕事がロボットやAIに奪われると言われている社会において、バカみたいにロボットのように働くやつがたくさんいる。

会社にいるとみんな作業が好きだなぁとつくづく思う。若かろうが関係なく。

そんなんで給料あがらねぇとか平気で言っちゃってるんだからもう救いようがない。

まず、勘違いしちゃいけないのは「作業という行為」は必然的に発生するもの。これに従事するなよ、ということを言いたいのではない。

平社員なんかのメイン業務はほぼ「作業」でしょうから。

「作業」に何も感じないのか?

この「作業」に楽しくて生きがいを感じれる人には何も言わない。パートのおばちゃんみたいに、仕事とは決まった時間通り働いて、決まった通りの給料をもらうことであると割り切っているならこの後の話しに意味はないと予め言っておく。

そうじゃない人は、この「作業」をただ黙々とこなしてくれ、なんて言われたら絶望を感じますよね?ちょっとでも希望や夢を持っていたら感じないはずはない。

「作業」に対して、こうじゃないか・ああじゃないか・どうする・ああすると思考をしろと言いたいのである。

100m走で考えてみてください

作業、作業言ってるのを視点を変えてみます。

毎日100m走1本を15秒以内で走ってくださいとお題を与えられたとします。

作業者に甘んじるやつは毎日15秒を目指して走り作業者で終わらないやつはどうやったら14秒、13秒で走れるかを毎日毎日考えるでしょう。

そして後者は、ある日「俺はもしかしたら幅跳びの方が向いてるんじゃないか?」「10本走って思ったが、俺はもう少し長い距離の方が力を出せそうだから200mが合ってるな」という考え、視点の変化を起こせる。

これが思考するということではないか。

毎日15秒で走ることが目標になった瞬間に、そいつは思考停止している

仕事でも何でも同じ

上述の前者と後者で、どんどん差がつくのは明白ですよね?

会社に置き換えると、毎日15秒で走ることしか考えてないやつに何か希望を持てますか?永遠の雑用ですよそんなやつ。誰が評価するのでしょうか。

毎日毎日もっと速く走れないかと考え、時には「これってこうじゃないですか」「こうやってみます」とか「これにチャレンジします」とか変化を起こすやつが輝いて当然。評価される権利がある。

前者なんて評価される権利すら与えられないといっても過言ではない。