視覚的にかっこ悪い、ダサいファッションって一体何なのか?

あの服装はダサい、と感じる「あの」の正体とは?

いまいちふわっとしたニュアンスでしか表現できていなかった「あのダサいファッション」をついに明文化することができた。

その正体とは「えせ」である。
【えせ】
つまらない、とるにたりない、質のわるい、似てはいるが本物ではない

では、「あのダサいファッション」の正体を具体的に解説しよう。


服装が”えせヨーロッパ的”
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こちらの画像は、「メンズ モテファッション」でググってヒットした画像一覧。

ファッショ音痴な世間一般的な男は、こういったファッションを目指すのではないだろうか。

僕がものすごく自信を持っていえるのが、服装がダサい奴はほぼこれに該当している。

とにかくこのような格好をしている人は多く、休日の街で男たちの服装を意識して眺めてみると一目瞭然です。

いわゆる「大学生的ファッション」と言われるものでもあり、僕がこのブログで謳っている「ファッション童貞」というやつである。




はっきり言ってしまえば、ジーンズメイトやイオンやライトオンなどの量販店で売られている服によって、ファッション童貞的な服装が完成する。

また、楽天やSHOPLISTといったネット上でも圧倒的な数でこういった洋服が売られている。

さらにはこのダサさにフォーカスしている専門店までもある。




上述してきたこの手の洋服、ファッション(スタイリングや着こなしも含めて)の元ネタはイタリアブランドを代表としたヨーロッパブランドでしょう。

これぞ「えせ」なんです。えせヨーロッパ的なんです。

本家本元のヨーロッパファッションは、伝統的な本物を身にまとった「クラシコイタリア」「ミラノ男」「イタリア男」と呼ばれる本物のカルチャーです。

これらを低価格なクオリティでパクったブランドたちが乱立しているのが今の日本。

さらに、本家本元のハイエンドなラグジュアリーブランドを着ることができない「ファッション童貞」たちへ向けて

「無難」「さわやか」はたまた「モテファッション」などと各メディアが謳い、世間一般的にこれらが認知され解釈されているのである。

この圧倒的な「えせ」具合によって創らているのがあのダサいファッション」なのです。

これが、まぎれもない正体です。



そして本人はそもそも自覚すらしていない

えせヨーロッパ的なファッションをしている人を変える(変わる)のは容易ではありません。

何事もそうですが、「変わる」ためにはまず自覚することがスタートです。


変わるためのプロセス
自覚→認識(理解)→行動→結果、変われる


何が言いたいかというと、ダサい人がおしゃれになるためにも、上記のプロセスが必要となるため、おしゃれになる(すなわち変われる)のは、ほぼ不可能であるということ。

なぜなら、出発点である「自覚」するまでのハードルが高いからです。

良く考えてみてください、日常の中で自分の服装を客観的に指摘されることがあるでしょうか?

また、ファッションに興味のない人がある日突然、自分のファッションについて考えることがあるでしょうか?

唯一起こり得ることとしては、第三者から「ダサい」と面と向かって言われるくらいではないだろうか。(それでもその後、変わる人なんてほぼいないに等しいと思う)

ということから、出発点である「自覚」がまず起きないのです。要するに、ダサいファッションという事象に対して定量的なもので示す術がない。

テストによって点数という結果で返ってくることもなく、食べログのように第三者から点数で評価されることもない。

さらに、価格が高いもの・高級ブランド品だからといって「ファッション的にいい」ということにもならないというところが、ファッションのある意味難しいところである。

もはやファッションには評価基準など無いのかもしれない。己の中にしか



おまけ

これまで述べてきたことを踏まえると、売り手側(メーカーやお店)は、「誰がお客様か」「誰に売りたいか」や「自分たちの売り方」を明確に定めた上で商売をしていないなんてありえないわけです。

ファッション童貞からファッションエリートがいる市場において、ターゲットや自分たちの戦略を明確にする必要があります。

であるのに現実は、できていないやっていないむしろ知らない人たちがたくさんアパレル企業で働いています。

食の世界でいえば、毎日「吉野家」や「松屋」でOKという人と、レストランや割烹がいいという層が別々にいるわけです。

前者と、いわゆる食通である後者に対して同じマーケティングをするわけがないように、ファッション業界も”戦略”があたりまえに必要です。