ファッションに対して、藤原ヒロシがNIKKEI STYLEの「僕はユニクロじゃない」藤原ヒロシ、ブルガリと組む で語った内容がめちゃくちゃ痛快でした。

ファッションやファッション業界を一括りで語るのは、そもそも違う。

情報過多が故に今、そしてこれから起こることは ”原点回帰” 。

そんな、単純でありながらも見失いがちな本質を突いた言葉が最高です。

特に印象に残った部分を抜粋し、現況と照らし合わせた僕なりの見解を書いてみます。


無難にみんなに合わせようとばかりしていないか?
ファッションはもっと、いびつなものでいい。着心地が悪いものはファッションの中にはいくらでもあります。みんなのためだとか、着心地がいいとか、ジェンダーフリーでみなさんに着てもらうとか語らなくても、これが着たかったら無理してでも着て下さい、というものでいいのではないでしょうか

多くのアパレル企業では、

「他社は何が売れてる?」

「他社はどういう施策やってる?」

「売上!売上!予算必達!」

このような日常で溢れかえっているように思いますが、こと ”ファッション” においては、藤原ヒロシが語っていることが本質な気がします。

要するに、企業側はファッションを提供しているつもりになっているだけで、実際にやってることは、他社のマネをしたり、必死に無駄な数字ばかりを追いかけていることがほとんど。

ファッション企業であるならば、まわりを気にして合せてばかりいないで、ブランドとして「こうだ!」という主張があるべきなんです。

それこそが、ブランド価値の提供なのではないでしょうか。


きれいにまとまろうとばかりしていないか?
ユニクロは最高のライフスタイルブランドですが、ファッションブランドではありません。無駄だといわれても洋服にチェーンをつけるし、この時代におかしいだろうといわれても革を着る。それがファッションなんです。自分の中ではユニクロはもう一生買わないようにしようと決めたんですね。違う理念を持った、違うものだからです

無駄とか、おかしい、それがファッション。

このくだりが最高に痛快です。

(ユニクロを買わないとかは置いといて)

ファッション好き、そして、本当にファッションを楽しんでいる人にとっては、深くうなずける痛快なパワーワード。

僕的にこのくだりは、多くのアパレル企業に対する意味深なメッセージとも受け取れます。

それは、ユニクロが挙げられているだけで、広義でいえばファストファッション的市場にいるブランドは、ファッションブランドではないということです。

この、ファストファッション的市場に位置するブランドは、山ほど存在しているわけですが、ライフスタイルブランドという自覚無しに、あたかもファッションブランドである前提で戦略に悩み、息詰まっているような雰囲気を感じます。

ライフスタイルブランドとファッションブランドどっちが良くてどっちが悪いなんてことはありませんが、どっちつかずがダメなことだけは明白ではないでしょうか。


有名とか売れてるじゃない。どれだけの熱狂があるか?
そもそも僕は何億枚も売れる物を作りたくはありません。数を売りたくてやるものはファッションではない。ところが売れる物は作りたいのです。ここにジレンマがあります。また、人と同じ格好はしたくないといいながら、あるグループとは同じ格好をしたいわけです。そうしたファッションのジレンマというものをいつも抱えています。

絶対数をどう見るかがファッション。僕らが求めるのは、マイノリティーのかっこよさといえます。マイノリティーを保つことが難しい。すぐにメジャーになってしまいますから

本当にかっこいいとかイケてると思えるブランドって、まさにこのジレンマをうまく乗りこなしていると僕は思います。

マイノリティー(少数派)のかっこよさによって生まれた熱狂を、マジョリティー(多数派)に広げていけば、より多くの数を売れるようになるはずです。

いわゆるマス化ですね。

でも、このマス化というのは、マスに合わせるという側面が絶対に必要。

そうすると、マイノリティー(少数派)のかっこよさが失われることに繋がるわけです。

このジレンマの絶妙な領域をうまく乗りこなし、さらには陳腐化せず進化し続けるブランドこそが、ファッション的にかっこいいと僕は感じます。



藤原ヒロシもそうだと思いますが、ユニクロを代表としたライフスタイルブランド自体を否定しているわけではありません。

ビジネス含めアパレルとかファッションを、ライフスタイルブランドとファッションブランド一緒くたに語ることは、もはや違うよな、と気づかされます。

そして、ファッションというものの本質や原点を思い出させてくれる藤原ヒロシの記事は、何度でも読み返す価値のある言葉で溢れています。