人でも服でも言葉でも何でも、カッコイイかダサいかというすみ分けを無意識レベルでしています。

けど、カッコイイとかダサいって抽象的すぎるということなのか、そのまま発言したりすると、「なんでカッコイイの?」「なんでダサイの?」という具合に問い詰められてしまいます。

僕は、こういうことに対して何かもやっとした気持ちになります。

そんなに明確な ”理由” が必要なのか?と。

物事を自分の中で、カッコイイのかダサいかで判断することって、本能的だし、何よりも自分自身の根底にあるアンサーだと思うんですね。



 ”心理的現象” であり、数値化したりロジカルに紐解くものではない

わかりやすい例がファッション(服)かなと思いますが、「どうしてかっこいいのか」を必死に紐解こうとすること自体がムダなように思えます。

かっこいいはかっこいいでしかない。それだけなのではないでしょうか。

かっこいいという ”心理的現象” が、その瞬間、一瞬に起こっているという事実がすべてなんです。

ダサいについても同様に。



カッコイイかダサいか

こういうシンプルな理由、判断でいいんです。


かっこいいと感じるファッション、ダサいと感じるファッション

かっこいいと思える人、ダサいと思う人

かっこいいからやってみる、ダサいからやらない


きっかけ、共感、動機、判断などは、 ”カッコイイかダサいか” という超シンプルな心理的現象をもとに判断すればいいとさえ思います。

むしろ、 ”カッコイイかダサいか” は、本質的な判断なのではないでしょうか。