自分と誰かを比較することは「良くないこと」とよく言われますが、何から何まで良くないわけじゃないと思います。

たとえば、朝の通勤電車で浮かない顔をした人たちを見て、「俺はこんなつまんないやつにはならないぞ!」と自分を奮い立たせることは、とても良いことではないでしょうか。



ZOZO前澤社長の有名なエピソード

通勤電車の話しで、ZOZO前澤社長の有名なエピソードがあります。

前澤社長は地元千葉から都内の高校に電車で通っていました。

1時間30分ほどかけて電車で通っていたわけですが、車内ではいつも「疲れた顔のサラリーマン」がいて、「このまま大学に進学して(ちなみに進学校)、就職してもこんな大人にしかなれないのか」と思い、学校に通わなくなります。

つまり、まわりの大人を見て、当時の前澤少年は自分を”鼓舞”したのです。

その後、高校は卒業したものの、大学には進学せず、そのままアルバイトをしながらバンド活動を開始するわけです。

(そして今の前澤社長がある)

つまり言ってしまえば、高校生だった前澤少年は、浮かない顔をした大人と自分を比較して「俺はこんな大人にはなりたくない!」と、奮い立たせたともいえます。



自分をプラスにする比較であれ

自分と誰かを比較した結果、相手を

・見下す(俺よりアイツはダメだ!俺の方がいいに決まってる!)
・罵倒する(俺よりアイツはクソだ!)

もしくは自分自身を

・マイナス方向へ導く(俺はダメだ...)

ということが、世間一般的にいう自分と誰かを比較することは良くない、ということです。

これでは当然、自分に対してプラスとはなりません。

一方で、良い比較というのは、比較した結果、自分をプラスに奮い立たせることです。

・勝ちたい
・もっとやれる
・こんなんじゃない

こういった想いや姿勢は、本質的にとても重要ではないでしょうか。

これは、”原動力”ですよね。

時代性なのか、闘争本能むき出しな感じの方が、世間的なウケは良くない印象ですが、あまりにもお人好しが好まれる生ぬるい風潮にこそ、強い違和感を感じたりもします。

そんな「馴れ合い」こそが、社畜や思考停止した自分の意思をもたない量産型の人間を生んでいるように思えてなりません。



僕は、高校野球をやっていたんですが、こんなエピソードがあります。

それはひとつ上の先輩の夏の最後の大会でのこと。

エースピッチャーの彼女の元彼が4番にいる学校と激突した試合がありました。たしか準々決勝で、お互い甲子園を目指す強豪校同士です。

もちろん、エースピッチャーは相当燃えていました(お前のバット(あっちのバットも含め)なんかへし折ってやる!と、思っていたかもしれないくらい気合が入っていた)

元彼の方も県内屈指のスラッガーだったんですが、結果はなんと3打席連続三振でした。

しかも、強豪相手に完封勝利。

僕は間近で応援していて、エースピッチャーの並々ならぬ気迫を感じました。

まさに元彼と自分を比較し、

・勝ちたい
・もっとやれる
・こんなんじゃない
(・兄弟だとしても俺が兄貴だ!)

と、自分をプラスに奮い立たせた結果なのです。

だから、自分を奮い立たせる意味では他人と比較することは良いこと、なんではないでしょうか。